富里郷の境内で、考古学者たちによって立て続けに発見された遺跡は十数か所にのぼります。それらは、今から約2000から7000年前の新石器の史前の時代のものとされています。
中でも最大の面積を誇り、具体的な形を残しているのが公埔遺跡です。
公埔遺跡は、日本からの研究者であった鹿野忠雄氏によって1930年代に発見されため、当時の古い名称を使い”公埔”と命名されたようです。
この遺跡は、台湾の第三級遺跡であるだけでなく、卑南史前文化の範疇でもある貴重なものとされています。分布範囲は長さ約700メートル、広さ約250メートルとなっています。
新石器時代の中期と晩期に、富里郷の境内には、同時に二つの異文化人が存在していましたようです。
1つは東海岸からやってきた麒麟文化人で、もう1つが台東平原からやってきた卑南文化人です。彼らは前後して富里郷にやって来て、そして豊富な遺跡や器物を残していったんですね。
(「公埔遺跡 Vol-2」へつづく)