公埔遺跡の旧称は「石碑遺跡」だったようで、この遺跡で石壁が発見されたことが所以のようです。
(「公埔遺跡 Vol-1」は ←こちらから)
公埔遺跡で発見された巨大な石壁は、麒麟文化の非常に重要な特徴の一つとされていますが、同時に、この文化遺跡内で、卑南文化人が製造し使用したと思われる陪葬品の陶器も多数出土しています。
郷内には他にもたくさんの遺跡が存在していますが、すべて公埔遺跡と同じような特色を持っており、2種類の文化器物が同時に1つの遺跡区内に陳列されている状況といるんですね。
富里郷境内は、新石器時代の豊富な遺跡以外にも多くの鉄器時代の人々が残した遺物も存在しています。
阿美族人は、漢民族の人々が富里郷に入って開墾する以前の少なくとも千年前にはすでに居住していたと考えられており、阿美族人がかつて使用していた陶器と居住遺跡も郷内の色んな所に存在しています。
公埔遺跡周辺は高台に位置するため見晴らしは大変素晴らしく、東南西北それぞれ海岸山脈、卑南山、中央山脈や花東縦谷に囲まれ、ここを訪ずれた際は、一見の価値ありです。